由緒
御祭神
素戔嗚命
(すさのをのみこと)
厄除開運神、縁結神、農林神、勝負神、旅神、生業の祖神
稲田姫命
(いなだひめのみこと)
〈素戔嗚命の妃神〉良縁縁結神、子授神、安産神、農耕神
大己貴命
(おおなむちのみこと)
〈大國主神〉開運、商売神、勤勉神、医薬神
七社大神
〈大山昨命・建御名方命・奥津姫命・一大物主命・素盞鵈命・下照姫命・牛御子命〉
山口貯水地の湖底に埋もれた旧勝楽寺村鎮座の七社神社
神社名
「足立郡大宮(現在のさいたま市)」 の武蔵國一の宮氷川神社と、西多摩郡氷川(現在の奥多摩町) の氷川神社「上 (かみ)氷川・奥氷川」との中間に鎮座するため、「中(なか) 氷川神社」と呼称されるようになった。
由緒
当社は崇神天皇の朝に創祀せられ、武蔵國造 (長官) の崇敬厚く平安時代に朝廷が編纂した延喜式(国の法律書)神名帳に記載された、祈年國幣社(当時の官社) であった。
中古は、入間・多摩二郡にまたがる九十二ヶ村の総鎮守として、また山口城主にも尊崇され、徳川幕府より社領四石三斗を賜りました。明治維新後は、埼玉県の県社の社格を賜りました。
敗戦直後の昭和20年11月25日連合国軍総司令部(GHQ)は、全国の神社の中より宮内省雅楽部多忠朝氏の琴を始めとする五人の部員が奏で、氏子の少女四人が浦安舞を舞う、当社の臨時例大祭を視察したことは、当時の日本政府に於いては固唾を飲む重大事でした。
社殿
後鳥羽上皇の御宇に山口領主山口家継が社殿御造営、吉野朝の御宇に山口領主高治が社殿大営繕。
正平年中に兵火にかかるも、山口高忠による山口城の再興と共に当社御造営。
元禄2年本殿御造営、天保10年本殿上屋御造営、昭和6年から13年にかけて本殿、幣殿、拝殿、神饌所、回廊等造営及び境内整備。
平成9年から11年にかけて幣殿拝殿、神楽殿、社務所等造営及び境内改修。
御本殿は出雲大社造(心の御柱二十五尺)、古御本殿は元禄2年造立の春日造鱗葺(うろこぶき)社殿。
合祀
陣屋・大西の稲荷社、谷戸・新田・荒久の氷川社。
椿峰の八坂社・山王峰の日枝社・弁天前の市杵島姫社・大塚の浅間社を合祀。
昭和4年10月6日に山口貯水地の湖底に埋もれた、旧勝楽寺村(朝鮮半島より日本に渡来した百済人・高麗人の居住した地と伝えられている)に鎖座していた、七社神社 (七社権現=七社大明神)を合祀。
御宝物
◆ 有栖川宮一品幟仁親王御筆扁額 (明治11年12月)
◆ 秀吉禁制書及光忠作宝剣(天正18年4月)
◆ 一木造蔵王権現立造(所沢市指定有形文化財)
◆ 土器・石器・板碑・棟札・古鏡・古文書等
◆ 山口貯水地湖底の往古の写真
兼務社
荒幡富士 浅間神社
鎮座地 | 所沢市荒幡748 |
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御祭神 | 木花咲耶姫命、大山咋命、他 |
祭日 | 春季例大祭 4月2日 山開き 7月1日 秋季大祭 11月29日 |
◆ 【荒幡冨士とは?】高さ10m、村民総出で築き上げられ、明治32年に完成しました。所沢市の有形民俗文化財です。
堀口 天満天神社
鎮座地 | 所沢市上山口字長久保436 |
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御祭神 | 菅原道真朝臣、天穂日命、花園姫 |
祭日 | 春祭 3月29日 夏祭 7月の第二土曜日 秋祭 9月25日 |
境内社 | 八坂神社 稲荷神社(火消し稲荷) |
奉仕社
新所沢 愛宕権現社
武蔵野の 民を護りて 享保より 愛宕の神の みたま 尊し
御朱印は祭典日に頒布しております
鎮座地 | 所沢市緑町 |
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御祭神 | 愛宕大権現 |
祭日 | 【元旦祭】 1月1日 午前10時斎行 本殿・社務所開扉日時 大晦日 午前9時~ 1日1日 午前5時~ 2日~3日 午前9時~午後5時 11日・18日 午前9時~ 【節分祭】 【春季例祭】 【大祭】 【七五三祭】 |